有松の町

有松は、江戸幕府の東海道整備に伴い尾張藩が慶長13年(1608年)に出した入植者募集のお触書によってできました。
最初の入植者は阿久比から庄九郎はじめ8名と文献に記されています。
有松という地名は、松がたくさん生い茂っていたからという説と、お触書の中の新町(あらまち)がなまったものとの2つの説があります。ただ有松には耕地も少なく茶屋集落としての営みにも限界がありました。入植者たちは何とか新しい産物をと考えていたところ、名古屋城築城の折りに豊後(大分)の方より絞り染めを習い、その後有松で工夫をし、今日に繋がる有松絞りが生まれました。この絞り染めは東海道の旅人の土産物としてもてはやされ有松は繁栄を誇りました。
しかし天明4年(1784年)大火でそのほとんどを焼失してしまいます。
その後、防火の為に住居を漆喰による塗籠造りとし、茅葺屋根を瓦葺きとして豪壮な町家が建ち並びました。

1984年に名古屋市の町並み保存地区第1号として指定された有松。
2013年には町並み保存地区内の東海道が無電柱化され、美しい江戸の景観がよみがえりました。
そして2016年、大都市の街道沿いとしては初めて、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。(全国で111番目)

また有松には「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」のいずれもからくり人形を乗せた三輌の山車(昭和48年名古屋市民俗文化財指定)があり、10月第1日曜日に開催される有松天満社秋季大祭(有松山車まつり)に有松東海道に曳き出されます。
このまつり自体、まつり文化の継承の為、名古屋市の無形文化財として指定されています。

このように有松には、絞り、町並み、山車といった3つの誇りうる宝物があります。